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あおしストーリー

『俺は自分の意思とは関係なく家業を継いだ。
本当はやりたいことがあったんだけどな、
だからお前には好きな事をやって欲しい。

 

 

この父親の言葉が整体・カイロプラクティックを始める大きなきっかけでした。

 

きっかけという事は、もちろんそれ以前からカイロプラクティックや整体などに興味はありました。

初めて興味を持ったのは、学生時代に野球をしていた事に関係します。

 

 

学生時代(中学・高校)

中学と野球推薦で入った高校は野球中心の生活を送っていました。その頃は膝・肩・腰をよく痛めていました。

 

特に肩は生まれつき悪く先天的の肩関節反復性亜脱臼(簡単に肩関節が半分外れてしまうというもの)があり、
まったく野球にはむかない身体なのに(笑)野球をやり、
痛めて、よく地元静岡の藤枝市や隣の焼津市の
整形外科・カイロプラクティック院に通っていました。

 

(初めて整体に興味を持つと同時に、レントゲンなどを撮り、

異常ありませんと言われ、疑問をもったのもこの時です。)

 

しかし、体の事で親を恨んだことはありません、なぜなら肩以外はいたって健康で、
この仕事に就けたのも親の協力があったからです。
とても感謝しています。

 

高校野球引退後、(引退前から)『自分はこれから何をすればいいんだ?と言う疑問(?)が頭の片隅に(笑)

辞めたいと思った事もあった野球ですが自分の中でかなりの部分を占めていたんだと思った瞬間でした。

 

 

たった4ヵ月間の(笑)大学時代

自分はこれから何をすればいいんだ?その答えが見つからず、なんとなく愛知県の某大学に推薦で入学。

 

ちなみにこの時は治療家という選択肢はほんの少しで、
ちょっと興味はあるけど、俺が治療家なんて・・・と思っていました。

 

まさかこの数年後、自分が専門学校の学院長になるなんて夢にも思っていませんでした。


自分で言うのもなんですが野球しかやってこなかったおバカさんでしたから(笑)

 

大学時代はバイト中心で、授業を受けたり色々なバイトをしている事を
何かが違う!!』『このままでいいのか俺!?

と疑問に感じることもありました。

 

そんな時、父親に

俺は自分の意思とは関係なく家業を継いだ、本当は・・・と言われ、
自分の中のモヤモヤが晴れ大学を辞め以前から興味のあった治療家(カイロプラクター)になる事を決意しましたが、
ここで母親と口喧嘩勃発、数日の戦闘状態を経て説得し、大学を辞めました。

 

その反対していた母親も今では私が実家に帰ると「腰が痛いからやって~」と言ってきます(笑)
最終的にこの仕事へ就いた決心は、自ら体験した施術の素晴らしさと父親の言葉でした。

 

 

専門学校時代

その後、日本最大規模を誇る専門学校の名古屋校(以下名古屋校)に入学。

・・・しかし、入学して1週間目の授業での嵐!!

第一の試練がきました。

 

解剖学?生理学?基礎医学?運動学?カイロプラクティック哲学・・・ナニソレ?

しかも、実技も難しい!!

 

早々とあきらめそうになりました。

先輩に『だんだんなれくるよ』と言われましたが、不安しかありませんでした。

 

ですが、親を説得(半分啖呵きって)大学をやめて、自分の道を進んだのにこのままやめたらカッコ悪すぎる。

死ぬ気でやろう!!・・・と決心しました。

 

そして、昼間にやっていたバイトをすべてやめ、

バイトは(工事現場などの肉体労働)土日のみ

(なれてきてからはマッサージのバイトしてましたが)

 

平日学校のある日は、早く学校に行き勉強、授業が終わった後は復習。

 

・・・お恥ずかしい話、18歳にして生まれて初めて必死に勉強しました(笑)

 

そのおかげか、授業の内容が少しずつ理解できるようになってきました。

それどころか、学校での成績は割と上位に(^_^)

 

そして在学中にタイへ渡り、タイ古式マッサージ・フットマッサージの資格取得、

 

そんなこんなであっという間にインターン研修の時期に。

 

頑張りが認められたのかは分かりませんが、研修前に当時の学院長のH先生から

『インターン終わったら学校と付属院に就職しないか?』

と誘われ、即答で

『お願いいたします』と返事をしました。

 

ただし、その時の条件として、

『首席卒業な』と、さらっと言われました(-_-;)

 

プレッシャーがバネになり(?)研修中の施術ノルマ100人をはるかに超える700人を施術し、

もちろん各段階のテストもクリアし、

 

無事、卒業試験を首席でクリアし、卒業。

はれて正式に名古屋校と名駅腰痛センターに就職しました。

 

 

 

 

 

 

専門学校卒業後

20歳で就職し、だんだんと治療にもなれてきて、

当時の学院長が講師をしていた授業の補助に入り、なかなか充実していました。

 

・・・が、しかし半年後に当時の学院長のH先生が退職するということを聞かされました。

 

そして一言。

『おまえ来期から講師出来るな?』

 

思わず一言。

『ハイ』

 

自分で自分を追い詰めたのか?と思ってしまいました(笑)

 

でも、出来ると思ったからH先生が、

『出来るな?』と言ってくれたんだと思い、今まで以上に勉強し、自分自身を高めるため、1~2カ月に1回は必ずセミナー(勉強会)に出てました。

この時、私は21歳でした。

 

寝れない日々が続きましたが、ある程度追い込まれれば自然とできるものですね(笑)

 

講師をやり始め、治療院でも患者さんがつき始め、

また充実し始めた時にまた試練(?)が・・・

 

この時に学院長をしていたT先生が開業の為、退職するという事でした。

 

正直、この時の素直な気持ちは、

『おめでとうございま~す・・・って、次の学院長って、俺!?』

(この時、22歳でした)

 

でした(笑)

 

この時のスタッフは、経験2年(バイトは抜いて)の私と、

専門を卒業したばかりの2人。

 

・・・不安しかなく、また寝れない日が続きました。

 

最初は治療院も忙しく、なかなか順調かと思われましたが、

自分が担当していた講義+退職されたT先生が担当していた講義もやり始め、

さらに学院長の業務が重なり、だんだんと自分のキャパの限界を超えそうになってきました。

 

前の先生と比べられているんじゃないか?

『若いからねぇ~』とか、言われてるんじゃないか?

 

と思いだんだんと無理が重なり、

さらに会社の都合で2回の移転、会社での上から下からのストレスなどで、

酒・コーヒー・タバコを過剰摂取し、
不健康な生活を送り、疲労から少し体調を崩し、

改めて健康な体の重要性を確認できました(笑)

 

 

この時、話し(グチ)を聞いてくれたH先生、T先生、ありがとうございました(__)

 

どん底状態から回復し、

 

その後、治療や講師をしていて、これまでは、

『いつかは開業したいなぁ』

くらいの考えが、

 

 

『開業したい』『こんな風にやりたい』になり、

 

『こんな風にやるには、開業しなくては』と思い、

100年に一度といわれる大不況の中、

多くの方に支えられ2009..23に開業に至る事が出来ました。

 

 

 

整体院あおしは

日常の身体の姿勢・バランスを変え、
疲れにくい・痛めにくい身体へと変化させていく

をモットーに少しでもあなたの健康な体作りと痛みのない楽しい生活のサポートを出来れば幸せです。

 

 

 

・・・そういえば、ここだけの話、開業の2年位前になんと詐欺で開業資金にと貯めていたお金の8割を失うという事があり、
失意のどん底にありましたが、詐欺の話も今は笑い話です
()

 

 

 

 

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